解放前中国江南農村におけるジェンダー構造

−婚姻慣行に着目して−

(報告要旨)

東 美晴(神戸松蔭女子学院大学・非常勤講師)

 伝統中国社会における父兄原理の強調は、非対称のジェンダーとしても考えることのできるものである。また、このようなジェンダーの非対称性は、中国社会全域に同様のものであったかどうかは考慮の余地がある。本報告では、伝統中国社会におけるジェンダーの非対称性が必ずしも均質なものではなかったことを、上海近郊農村において行った調査のデータから示していく。

 ジェンダー構造を決定する地域の社会的な背景として、ここでは(1)宗教(祖先祭祀における父兄原理の位置づけ)、(2)村落構造と宗族組織、(3)女子労働に付与された価値の3点に注目する。調査地である上海近郊農村においては、解放前には城隍廟信仰を基盤とした土地廟による集合的祭祀が行われており、父兄のラインが強調される祖先祭祀とは異なった形態をとっていた。また、極端に規模の小さな同姓村が散在するという江南農村に特有の村落構造を有していた。これらの小さな村落は互いに無関係ではなく、より広範な地域(この場合は廟界)においてツリー上に格付けが行われ、その頂点に一宗族が位置していた。他の農民との家格の違いという点から、頂点に位置する宗族においては、男女に関わらずその一族のメンバーであるということが重視されていた。さらに、米作地域であり、女性は恒常的に農作業に参加していた。同時に、この地域の河川やクリークにおいて漁を行う漁民もあったが、漁民の間でも夫婦一組が漁の単位であり、女性労働は評価されない労働ではなかった。

 以上のような社会的背景は、婚姻慣行や出産慣行にも影響を及ぼしている。ここでは、婚姻慣行、特に婿取りを取り上げる。

 まず、調査によって得られた解放以前の婚姻のケース78件中、23件(29.5%)が小女婿も含め婿取りであった。変則的な婿取りのケースでは、招夫のケースが再婚のケース9件中4件存在した。再婚のケースではこの他に招婿婚のケースが2件存在した。さらに、通常の婚姻とは異なるが冥婚においても、婿取りのケースを採取した。

 この地域の婿は、解放以前には改姓をすることが多く、姓ばかりではなく名前も改められた。この時に、その男性が婚入することにより経済的余裕ができるようにという願いをこめ、婿には「進余」、「金余」等の名前が与えられることが多かったという。

 婿のケースは基本的には男子のない家庭のケース、または男子が小さいために労働力として長女に婿を取るケースであるが、この地域では広く行われていた婚姻慣行であることが理解できる。また、冥婚のケースに見られるように、それは代替的手段としてのみ考えられたものではなく、妻方の家格の高さを示すために用いられることもあった。さらに、招夫にいたる手続きの中には、父兄原理の形骸化も見ることができる。

 なお、婿の中には、解放後、妻を伴い妻方の家を出て、婿の立場から脱却する者もあった。この点で、この地域では、1950<年の婚姻法改姓は、婿の解放として働いたという側面もある。

 以上のように、調査地においては、婚姻を通して見ても、父兄原理がそれほど強く表れていなかったことが理解できる。父兄原理の弱体化を生じさせていった理由については、前掲の社会的背景ばかりではなく、地域の歴史、地理的な条件が存在する。ここではそれについては触れないが、伝統中国社会の研究において、父兄原理の在り方そのものに検討の余地があることを再度あげておく。

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